1973年3月東京都杉並区生まれ (たまたま帰省中に生まれただけで育ちはほぼ埼玉)

小さい頃は、人と接することが苦手なおとなしい子でした。
 高校では仲間に恵まれあっという間の出来事でしたが、 3年になると急に大学に行きたくなり大学を受験。
しかし、もともと勉強嫌いのためあえなく全滅。
「浪人するならお金は出せない」といわれていた為、就職しかありません。
ただ父親は、海外に行くなら自分も行ってみたかったから当面の費用は出すとのこと。
自分も以前から海外にあこがれていたこともあったし、

「英語も学校で6年習っていたし大丈夫!」

すぐに片道切符で渡豪。
オーストラリアの空港に着いたものの、英語が通じないし宿も決まっていなかったので、ああー終わったなと思いました。

今更帰れないので、まずはオーストラリアを一周してみようとバスの一周チケットを購入して一周してみました。
その後お金がなくなったため、ツアーガイドのアルバイトで生活をしました。
オーストラリアでは、すんでいたアパートの電話工事を勝手にされて請求がきたり、夜中にナイフで脅かされたりといろいろありましたが、約一年後に帰国。

しかし、やりたいことも見つからず、アルバイトをしていました。
しかし、このままではいけないと思い、釣りのリールを作る会社に就職。

 この頃、海外での危ない経験から、少林寺拳法を始めました。
仕事が終わると、自分の趣味などに時間を使い充実した毎日でしたが、次第に自分で何かをやりたいという気持ちが強くなっていきました。

26才になり、ラーメン屋をやろうと決意して会社を退職。
南京亭というラーメン屋で働きながら、調理や接客などを3年学びました。

その後、いまの場所で「香麺」として豚骨ラーメンのお店をスタート。
始めてはみたものの、やっと生活できるくらいの収入が長く続き、ラーメン学校にも飛び込んだりと試行錯誤の日々が続きました。
その後、お客さんが増えてきて経営が安定してきた思っていたところ、肉の業者から、半年後には豚の骨の仕入れが倍になってしまうかもしれないと連絡がありました。
「仕入れが倍になったらどっちみちこの店も終わりだな」と思った私は思い切ってお店を閉店。




そして、一か月かけてお店をリニューアルして、丸鶏を大量に使った塩専門のラーメン屋オープンさせました。
しかし、このお店は原価をかけすぎたためにあえなく1年で閉店。
そして、七転び八起きの精神で今の鶏白湯のお店を作りました。

以前ラーメン学校に行ったときに、自分の心の在り方がとても大切ということを教わりました。
「そんなのラーメンの味に関係ないんじゃないのか?」
とは思ったものの、気になったら徹底的に調べるタイプの私。
ということで心理学や脳科学、スピリチュアルや潜在意識など探求し始めました。
そして自分の心の在り方を変え、行動することによって現実も変わっていくということを体験しています。

ということで、今の鶏白湯のお店は「自分が楽しくお店を経営したらうまくいくのかの人体実験」をしているんです。
まずは自分が楽しめるようにはどうしたらいいか?
から始まって、スタッフやお客さんもみんなで楽しいお店になるかを追求していたら、テレビにも取り上げてもらえるようになりました。

そんな自分のマインドが伝わったらいいなと思い、お店には自分の好きな本も置いています。
どうやったら人生を楽しく過ごせるのかなど、そんなことも知るきっかけになったら嬉しいです。
もし気になる本があったらご覧くださいね。

ということで、お店でお会いできるのを楽しみにしています。



                      店主 岸岡 勇